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imahujiwakami

Author:imahujiwakami
長唄三味線と古典芸能に携わって日々過ごしております。
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『和香海会 長唄浴衣会』
【開催日】2018年 9月2日(日)

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ご訪問に感謝♪


今年の七月大歌舞伎は

二代目松本白鵬
十代目松本幸四郎

ご襲名公演おめでとうございます㊗️✨



昼の部を拝見しました♫


勧進帳の幕見席は完売!



「廓三番叟」も「勧進帳」も長唄です❤️


『勧進帳』は5月のリサイタルで弾かせて頂きました。


お芝居好きのお客様にはお芝居の『勧進帳』と、演奏だけの『勧進帳』の聴き比べをして頂けたようで、沢山の方からそれぞれについての感想を頂きました。


形としては非常に思い切ったニ挺ニ枚の演奏でしたが、お話を色々と伺ったことで、思いの外「音曲」としての勧進帳の流れを感じて頂けたのかな‥という気がしております。


何せ、強力な演奏者の方にご一緒頂いたので‥😅


いつかお囃子入りで、がっつりの勧進帳をお届けできる日が来れば‥と夢見ています😊✨


さて、話は松竹座に戻りますが‥。


舞台左手(下手)の御簾から聞こえるお三味線の音にも知った曲のフレーズ♫


河内山では「秋の色種」が使われていました。


私は女なので、詳しくありませんが、またお詳しい男性プロの方にお話を伺ってみたいと思います(^^)


長唄は歌舞伎音楽として発展して来ました。


なので、長唄のお稽古していると歌舞伎鑑賞の楽しみが倍増します💕✨


どの演目も歌舞伎ならでは✨


ダイナミック、デフォルメの様式美❤️


贅沢な舞台に満腹です❤️

私は同級生が書く読書日誌の文章がとても好きです。

「読書日誌その24」
人間、やっぱり情でんなぁ
著者 竹本住太夫 樋渡優子

書いた彼は小学校の同級生。

整形外科医です。

初めて彼の読書日誌を読んだ時は衝撃的で、お医者様になる人というのは、こんなにも文章を書くのが上手なのかぁ〜✨とワクワクしました。

こういうのは何故か上から目線で書く人が多いような気がするけど‥彼のはなんか違う‥。

そして、一つづつ読み進むうちに‥「んっ?」と思わず目が留まり‥。

それがこの読書日誌でした。

文楽のことについて書く方は素人さんからプロまで様々おられますけども‥

こんなにも端的に魅力ある文章でわかりやすく文楽のことを書ける人は他にいるかなぁと思いました。

読み終わった時は胃の辺りをグイグイ持っていかれた感じ😅

2014年に書かれた日誌で、先日、久しぶりに読んで‥初めて読んだ時よりも何だか感動が増して、私は自分のアホさ加減がほとほと嫌になり‥感動と情けなさがごっちゃになって、一人で泣いてしまいました😅

そう‥

そして、彼は時間があると私の長唄演奏会に足を運んでくれます。

彼が来場してくれる度、「あぁ‥私の解説って、なんて稚拙‥( ̄▽ ̄;)」と、終わってから凹みます_| ̄|○

彼には整形外科で主人共々お世話になる時もあるのですが、読書日誌には頭脳明晰でありながらゆったりとした彼のお人柄が垣間見れるような気がします。

きっと、論文書くこと思えば、チョチョイのチョイなんでしょうけども‥言葉を操れるって素晴らしい😂

同じ年で、同じ小学校なのに‥神様は不公平😅

いやいや、神様のせいじゃないよ

この度、「私のお繋がりある方は古典芸能お好きな方が多いので、ぜひこの日誌をご紹介をしたいのだけど‥。」と、願い入れましたら、快く受け入れてくれました。

あくまで私の好みであって、千差万別あると思いますが、ここにご紹介させて頂きますので、ご興味のある方はぜひ読んでみて下さい。






読書日誌その24
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人間、やっぱり情でんなぁ
著者:竹本 住大夫 , 樋渡 優子
出版社:文藝春秋 (2014/10/14)

 奥州安達原を国立文楽劇場で観た。住大夫師匠のいない床はなんとも寂しいが、ご自身で決められた引き際であるから、我々観客はそれをよしとせねばならない。
 私はいきなり文楽の舞台を観てすぐに理解できるほどの素養がないため、大抵なにがしか予習をしていく。最近では床本をダウンロードして読むことができて便利至極であるが、それを読んでいる段階でいつも思うのは、「このストーリーではなんぼなんでも無理があるやろう」ということである。なにせやたらと人が殺される。さらにその殺人の動機も殺害方法も理解しがたい。今回の奥州安達原では、老女が胎児の生き血がいると言って妊婦を殺害し、その後でそれが実は自分の娘であることに気づくとか、前回の菅原伝授手習鏡では、主君の子の身代わりに、その日に入門したよく似た子の首を打って忠義立てするとか、現代の映画の脚本家が書いたら、まず一発で没になるであろう。漫才なら「そんな奴おらへんやろ」である。
 さて当日、そんな違和感を抱きながら文楽劇場の席に座る。床が回って太夫と三味線が現れる。太棹の最初の一音が劇場に響き、正面に現れた人形があまりにも繊細な動きを始める。太夫が節を付けて浄瑠璃を語りだし、三者がお互いを一切見ないのに、寸分のくるいもなく舞台が進行していく。しばらくすると驚くことに、あれだけ無理だと思っていたストーリーが、太夫の口から圧倒的な説得力を持って迫ってくる。切場に差し掛かる頃には、完全に納得してしまって、人形に感情移入すらしてしまう。けだし昔の浄瑠璃作者は、ここまでの効果を計算しきって、あの脚本を仕上げていたのであろう。住大夫師匠が「浄瑠璃ってええもんでっせ、ようできてまっせ」と言われた、その一端が分かったように思えて劇場を出る。
 私の文楽理解は未だこの程度なのだが、それでも46歳になって、少し分かるようになった。文楽は大人の趣味である。子供には分からない。文楽の補助金を切って、一方でカジノを誘致するというがごとき、大人なら一顧するだに値せぬ子供の戯れ言にすぎない。そんなことを言う政治家がいて、それが首長だというところに、今の日本の根深い問題があると思う。

2014年11月15日(土)22時47分

「母と長唄」

文月は両親の命日。

思い出ついでに母と長唄のことを少し‥。(長いです)


母は長唄が大好きで、お師匠様が90歳を過ぎて解散されるまでずっとお稽古を続けていました。


母のお師匠様は明治生まれの女性で、主人の祖父(初代望月太明藏)ともよく一緒に舞台のお仕事をされていた方と聞いています。


毎年、文楽劇場小ホールにてお囃子入りで春の会(写真)、料亭で夏の浴衣会を開催されていたお師匠様。



晩年になられてもまだお弟子さんが増えているという凄い方でした💦


私の手ほどきのお師匠様はこのお師匠様。


いわゆるプロを雇って演奏するというスタイルの会ではなく、お弟子さん方で並んで演奏されるので、演奏レベルとしては決して高いものではありませんでしたが、皆さま、それぞれにタテだったりワキだったり‥お師匠さんを中心に楽しんでおられたように思います。


私は中高で部活が忙しくなり、一時、長唄のお稽古を中断しました。


大学生になり、またお稽古を始めたいと言った私の言葉に母は色々と考えたようです。


前のお師匠様のところへ行きたい、と、かなり母に迫ったのですが、何故かなかなかウンと言わない‥。


母には母の考えがあり‥


結果、現在の師匠のところにお稽古に通うことになりました。


実は私は母から長唄を教えてもらった記憶が一度もありません。


手ほどきは母のお師匠様。

そして、現在の師匠。

覚えているのは母の言葉。

「ママは鶏口牛後でいいねん。でも、あんたはそれではあかん。」

お囃子マンは「ママさんの英断やったな。」と言います。

でも、母にとってみれば苦しい決断だったと‥。

母のお師匠様は‥

いつも私のことを「こいちゃん、こいちゃん」と呼んで、可愛がって下さいました。

家に電話がかかると、私と母を間違えてしばらく喋る(笑

母じゃないことに気付くと「あらっ!あなた、こいちゃんだっか? まぁ~おかぁさんとおんなじ声して! おかぁさん、いたはる?」と、笑われる。

小学生の頃には可愛いお花のイヤリングをしてお稽古に行くと、こんな具合↓。

「あらっ!まぁ~可愛らしいのんつけて♫ どんなん? ぃやぁ~ちょっとわてにもさしてちょうだい♫」

自分がつけてみる(笑

お稽古を待っているおばさま方の方に向いて、「どう?」と、付けたイヤリングを見せるお師匠様。

ほんとに、可愛らしい方でした😊

髪をきれいに染めて、色が白くキリッとされていて、きれいなお師匠様の思い出。

現在の師匠に弟子入りした時、大胆にも「将来はお師匠さんになりたいと思います。」と、言ったのを覚えています。

今から思えば、よくぞそんな大胆なことをうちの師匠に言ったもんだと‥( ̄▽ ̄;)

多分‥私の頭の中には手ほどきの師匠がいて、「あんな長唄の師匠になりたい」という思いがあったのかもしれません。

母は私に長唄の「存在」を教えてくれました。

(家でお稽古していても、徹底して注意も何もいいませんでした。)

習いに来てくれるお弟子さん達、演奏会‥
今、母のおかげで私は長唄を楽しむことが出来ています。

そんな母へのせめてもの親孝行‥と、主人が母の生前に、師匠、母、私、娘の共演をセッティングしてくれました。


母は第一線で活躍している師匠のお三味線で唄えることをすごく喜んでいました。

母娘三代で舞台に乗らせて頂くことが出来て感謝しています。


主人のモットーは「できる時にやっとかなあかん。」。

ほんとにその通りだと思います。


今はもう母との共演は叶いません。


でも、演奏するそれぞれの曲に母との思い出があります。


「◯◯はほんまにえぇ曲やなぁ✨ △△さんが唄いはったのん聴いたけど、ほんまに良かったわぁ~✨」

「そうやなぁ✨ あそこのとこがまたエェねんなぁ❤️」

毎日電話してはそんな話をしました。

母の声が耳に残っています。

今は自分が母親になり、娘に何を残してやれるのかしら‥と、思う時があります。

大人になっても心に残るえぇもの‥

なかなか難しいです。



「賎機帯」

只今『賎機帯(しずはたおび)』に向き合っております。


派手さはないけど、聴けば聴くほどいい曲で‥

二代目(お囃子マンのお父さん望月太明藏)もお好きやったそうで‥なんか‥そういうの聞くと、改めてしっかり勉強せなあかんな、と思います。

ほんま、まだまだ修行不足。

がんばろ。

「母の命日」

昨日は母の祥月命日でした。


6年が経ちました。


しょっ中思い出すのは、発症してうちへ来てから、春の陽が射す部屋の中で穏やかに微笑む母。


そして‥


入院した病院から15分はあろうかというお風呂屋さんの脱衣所。

浴室を出て、ふとイヤな予感がして携帯を見ると、おびただしい数の着信。

兄からのメールを開くと

「すぐ帰れ!」

という文字。

背筋がゾッ‥と凍りつくとはこのことで‥。

髪を拭くのももどかしく、心臓が破れるかと思うほど走った記憶。

病室に詰めに詰めていたにも関わらず、2~3日後にかけて危ないということを聞き、とりあえずお風呂に入っておこう‥と、兄と交代して初めて病院の外に出かけた時のことでした。

なんで今まで詰めていたのに、このタイミングでお風呂なんかに行ったんだろう‥。

走りながら後悔して後悔して心臓が飛び出そうでした。

病室に着くとまだ息はありましたが、最期のほんの数分‥母は息を引き取りました。

私は涙やなんかでぐしゃぐしゃで‥お礼を言っていましたが、母の耳に届いていたかどうかは定かではありません‥。

人生というのは、本当にいろんなことが起こるもので‥。

悲しい悲しい別れの日の光景はいつまでも鮮明で‥記憶から離れることはなく‥少し辛い思い出。

私は嫁に出た身なので、当たり前ですが我が家に両親のお位牌はありません。

とりあえずは写真と、大好物のお好み焼きをお供えして手を合わせました。

半世紀も生きてみると、「家」や「家族」というものは時と共に様変わりして行くものなんだな、と実感します。

少し寂しい気持ちになりながら‥でも、横でマンさんが一緒に手を合わせてくれてまして、有難いことやなぁと感謝しました。

「両親と同じお墓に入りたい。」と言ったら「はっ??」と言われましたがw

「まぁでも、女の人ってそうらしいなぁ。」と。

義母も同じようなこと言ってたそうです(~_~;)

うちの母は間違いなく父とお墓に入りたかったに違いありませんが(笑

母は牡蠣のお好み焼きが大好きでした。

冬になると食べたくなりますが、私は4回も牡蠣に当たったので、残念ながら今は食べません。

2回目当たった時点で食べるのやめましょう

あーぁ、牡蠣好きなのになぁ‥ざんねん( ;∀;)

というわけで、牡蠣入りではありませんが、本日はお好み焼きもおかずの一品です。

ここまでお読み下さった方‥お付き合い頂きありがとうございましたm(_ _)m


母のお師匠さまの春の会で唄う母。
大好きな「ためじゅうろうさん」に大鼓打ってもらって唄うのは、さぞ幸せだったことと思います(^^)

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