ドラマ「アンサングシンデレラ」を録画して見ています。

薬剤師さんのドラマ。
身体が強くないので、病院や薬にお世話になることが多く、見ているうちに何かと思い当たることが多いです😓
前回の荒神さんの奥様のガンについては…両親を癌で亡くしたので、様々な「家族の思い」を思い出して、見終わってから、しばし、ぼーっとしてしまいました。
癌は、その進行と共に家族も辛い階段を一歩づつ登らなくてはいけない…今はそう思います。
看病中はそんなこと考える間も無く、ただひたすら目の前に起こることに一喜一憂しながら過ごましたが…。
体調不良から始まり、検査、がんの宣告、治療方法の選択、痛みに対する薬の選択、保険の手配、会っておきたい人の選択と連絡、病人への郵便や諸々の管理、在宅医療、転院、危篤の際の連絡先、葬儀屋の手配…
身内にとって大変なことは本当にたくさんあります。
でも、全ての人が同じような思いをするのかと思っていましたが、意外にそうではないと気付きました。
私は父が亡くなる時には娘を産んですぐでしたので、母のお手伝いは何も出来ませんでした。
でも、母が癌になった時にはうちに引き取り、最期を迎えるひと月前まで家で療養しました。
母は叔父夫婦がいたので祖父も祖母にもそのような看病はしていなかったと記憶しています。
人によって両親の看取り方は様々なんだなぁと思いました。
父は1年闘病して、母はほぼ3ヶ月で亡くなりました。
癌の看病中には、すごく辛い節目が幾つかあります。
私が辛かったのは、癌の宣告を受けた時、余命宣告を受けた時、胆嚢がんでしたので、ガンが大きくなって胆管をつまらせ黄疸が出た時の処置と決断、治療方法の選択(抗癌剤、緩和医療)、抗癌剤をやめた時(癌難民になるという不安)在宅看護への不安、自分の精神力と体力の限界、会っておきたい人の選択と連絡、鎮痛剤から鎮静剤への決断…
兄達と相談しながら過ごした3ヶ月。
ドラマで見た、最後の「鎮静剤」のくだりは…私も同じことを経験しました。
鎮静剤を使うと、人との意思の疎通は出来なくなる、と医師から伝えられました。
いわば、ある意味そこが「お別れの時」です。
耳は聞こえているそうですが、会話は出来ません。
母はもう言葉を発することも出来なくなっていましたが、でも、意識はハッキリしていて笑顔も‥
ただ、痛みが増してくるので、鎮痛剤が切れて来るのが早くなります。
鎮静剤を使いたくない‥出来る限り母の笑顔を見ていたい…
そう思いました。
でも、最期の日、言葉を発せない母が、声を絞り出すように「いた…い…。」と言ったのです。
あ!しまった!
自分の思いだけで、なんてかわいそうなことをしたんだろう❗️
そう思いました。
辛い辛い痛みを取ってあげることが先決なのに…。
ドラマの荒神さんの気持ちが痛いほどわかりました。
皆んな、同じ思いで辛い時を過ごすんだな…。
父が危篤の時、私が泣いて「死なないで」というばかりだった時に、母は泣きながらも「パパ、今までありがとう。」とお礼を言うのを聞いて、私はハッと我に返ったのを鮮明に覚えています。
瞬間的に母に尊敬の念を抱きました。
身内が癌になると、幾つもの山場を迎えますね。
看病をして、最期を迎えた後、家族はその山場を必死の思いで越えて、本当に心から「ありがとう」と思えるんだ、と思いました。
辛い姿を見るのが何より辛い。
だから、息を引き取った後は、やっと楽になれたね…と、笑顔で見送ることが出来る。
私も母が息を引き取る直前に言った言葉は、やっぱり「今までありがとう」でした。
号泣してましたけど…
親が死ぬのは辛いけど、誰もが経験することだから…と、何度も自分に言い聞かせて‥。
そういえば、病室に若い看護師さんがお薬の辞典を持って来てくれて、お薬の話をしたな‥と、ドラマを見ていて思い出しました。
癌という病気は色んなことを気付かせてくれる。
人生は本当に色々なことがあるもんだと思います。
いつもインスタライブ楽しませていただいております(*^_^*)
私も19歳の時に父を亡くしました。
肺の難病で、同じく鎮静剤を使っての最期でした。
お師匠さんのこのブログ記事を読ませていただいるうちに、父の最期を思い出して涙が出てきました。
『主治医の先生から鎮静剤を打った後も耳は聞こえているから声をかけてあげて下さい。』と言われたのですが、目の前の現実を受け入れる事ができず、声をかけられなかったことが今でも悔やまれます。
病気は当事者である患者さん自身もそうですが、その家族も、色々なことに気づき、学び、考えさせられます。
人生は本当に、良くも悪くも色々な事があるものですね。