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imahujiwakami

Author:imahujiwakami
長唄三味線と古典芸能に携わって日々過ごしております。
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出演情報

『今藤佐志郎 ゆかた会』
2018年8月26日ギオンコーナー

『和香海会 長唄浴衣会』
2018年 9月2日(日)大阪西天満「芝苑」

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「母と長唄」

文月は両親の命日。

思い出ついでに母と長唄のことを少し‥。(長いです)


母は長唄が大好きで、お師匠様が90歳を過ぎて解散されるまでずっとお稽古を続けていました。


母のお師匠様は明治生まれの女性で、主人の祖父(初代望月太明藏)ともよく一緒に舞台のお仕事をされていた方と聞いています。


毎年、文楽劇場小ホールにてお囃子入りで春の会(写真)、料亭で夏の浴衣会を開催されていたお師匠様。



晩年になられてもまだお弟子さんが増えているという凄い方でした💦


私の手ほどきのお師匠様はこのお師匠様。


いわゆるプロを雇って演奏するというスタイルの会ではなく、お弟子さん方で並んで演奏されるので、演奏レベルとしては決して高いものではありませんでしたが、皆さま、それぞれにタテだったりワキだったり‥お師匠さんを中心に楽しんでおられたように思います。


私は中高で部活が忙しくなり、一時、長唄のお稽古を中断しました。


大学生になり、またお稽古を始めたいと言った私の言葉に母は色々と考えたようです。


前のお師匠様のところへ行きたい、と、かなり母に迫ったのですが、何故かなかなかウンと言わない‥。


母には母の考えがあり‥


結果、現在の師匠のところにお稽古に通うことになりました。


実は私は母から長唄を教えてもらった記憶が一度もありません。


手ほどきは母のお師匠様。

そして、現在の師匠。

覚えているのは母の言葉。

「ママは鶏口牛後でいいねん。でも、あんたはそれではあかん。」

お囃子マンは「ママさんの英断やったな。」と言います。

でも、母にとってみれば苦しい決断だったと‥。

母のお師匠様は‥

いつも私のことを「こいちゃん、こいちゃん」と呼んで、可愛がって下さいました。

家に電話がかかると、私と母を間違えてしばらく喋る(笑

母じゃないことに気付くと「あらっ!あなた、こいちゃんだっか? まぁ~おかぁさんとおんなじ声して! おかぁさん、いたはる?」と、笑われる。

小学生の頃には可愛いお花のイヤリングをしてお稽古に行くと、こんな具合↓。

「あらっ!まぁ~可愛らしいのんつけて♫ どんなん? ぃやぁ~ちょっとわてにもさしてちょうだい♫」

自分がつけてみる(笑

お稽古を待っているおばさま方の方に向いて、「どう?」と、付けたイヤリングを見せるお師匠様。

ほんとに、可愛らしい方でした😊

髪をきれいに染めて、色が白くキリッとされていて、きれいなお師匠様の思い出。

現在の師匠に弟子入りした時、大胆にも「将来はお師匠さんになりたいと思います。」と、言ったのを覚えています。

今から思えば、よくぞそんな大胆なことをうちの師匠に言ったもんだと‥( ̄▽ ̄;)

多分‥私の頭の中には手ほどきの師匠がいて、「あんな長唄の師匠になりたい」という思いがあったのかもしれません。

母は私に長唄の「存在」を教えてくれました。

(家でお稽古していても、徹底して注意も何もいいませんでした。)

習いに来てくれるお弟子さん達、演奏会‥
今、母のおかげで私は長唄を楽しむことが出来ています。

そんな母へのせめてもの親孝行‥と、主人が母の生前に、師匠、母、私、娘の共演をセッティングしてくれました。


母は第一線で活躍している師匠のお三味線で唄えることをすごく喜んでいました。

母娘三代で舞台に乗らせて頂くことが出来て感謝しています。


主人のモットーは「できる時にやっとかなあかん。」。

ほんとにその通りだと思います。


今はもう母との共演は叶いません。


でも、演奏するそれぞれの曲に母との思い出があります。


「◯◯はほんまにえぇ曲やなぁ✨ △△さんが唄いはったのん聴いたけど、ほんまに良かったわぁ~✨」

「そうやなぁ✨ あそこのとこがまたエェねんなぁ❤️」

毎日電話してはそんな話をしました。

母の声が耳に残っています。

今は自分が母親になり、娘に何を残してやれるのかしら‥と、思う時があります。

大人になっても心に残るえぇもの‥

なかなか難しいです。



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