癌に関するブログが目につきますね…。
ガンはホントにいろんなケースがあるので、それぞれのブログの内容に納得するような、しないような…。
一つの側面しか捉えられてないことも多いなぁ、なんて…。
かく言う私も身近なものは父母のケースしかまだ知りませんが…。
西洋医学の治療が効く人もいれば民間療法が効く人も…偽善的かもしれませんが、私はどちらもあると思います。
治療も日進月歩ですし…。
父は咳をし始めて、だんだん痩せて、微熱が出始めました。
悪性リンパ腫で、原発不明癌という最終診断でしたが、肺転移、最後は足の骨に転移。
闘病期間は放射線治療、民間療法、どちらも受けてほぼ1年。68歳。
お囃子マンの第一回お囃子の会当日の早朝に他界…まぁほんとに大変なことでした(ーー;)
母は5年前の7月に亡くなりましたが、2月まで本当に元気にしていました。
大腸ガンの検査して、問題なし、と言われたすぐ後に胆嚢癌を発症しました。ステージ4で余命3ヶ月宣告。
78歳でした。
一番負担が少ないという抗がん剤を受けたにも関わらず副作用がキツくて…すぐにメゲました。
抗がん剤でやられる体力の低下グラフと、緩和医療に入って最期に向かうグラフとを比べた場合、ほぼ抗がん剤での体力低下で亡くなる確率の方が高い、と思いました。
だから1分でも1秒でも長く穏やかに母と居られるであろう日々を選びました。
母もそれを良しとしました。
治そうとする「治療」を止めて、何も手を施すことなく最期を待つ…ある意味究極の選択です。
世の中に、こんなにも辛い「選択」はあるかなぁ、神様も仏様もないなぁ…と、泣きました。
「生きようとする」「治そうとする」のを止めることと同じ…。
それを母に言わなければいけない。
でも母も分かっていて「抗がん剤をやめたい」と言いました。
お薬に慣れていなかった母は78歳という年齢もあり、耐えることが出来なかったんです。
そこを「耐えろ」とは到底言えませんでした。
緩和医療に思いきれた一つの理由には母のお友達の体験談がありました。
ご主人がアメリカで快適な緩和医療を受けて亡くなられた、と聞いていたのです。
それがあったから、母も、家族も「治療をやめる」と、思い切ることができました。
父の頃には緩和医療がほとんど知られていなくて…治そうとする辛い治療が最期まで続きました。
ガンの治療の選択は年齢とガンの部位と体力にも大変左右されると思います。
民間療法で成功した!という人は、どちらかというと若い方が多いような気がします。
何れにしてもガンと闘うことに楽な方法はないような気がしますので、闘う時点で気力と体力と若さは必要だと思います。
両親の亡骸を見て、ガンというやつは身体を蝕むのだ、と強く思いました。
身内が癌になると、本当に色々なことを体験します。
(まぁ…この点は癌だけではないと思いますが…。)
だけど…一瞬で「その人」を亡くすよりは…ほんの僅かですが哀しくも幸せな時間をもらえます。
その時間をどう使うか…。
そして私の場合は両親から…これは世の習いです。
だから心を平静に保つことが出来たのだと思います。
若い人、特に小さなお子様がいる場合は…辛いことが多すぎますね…。
神様がおられるなら…どうぞ親を亡くした子供の悲しみを少しでも軽くしてあげられるようなことが、これからの人生に起こりますように…お願いします。
あれこれ書くうちに、とりとめのない文章になってしまいました。
お読み下さった方には、どうぞご容赦下さいませm(__)m