私は同級生が書く読書日誌の文章がとても好きです。
「読書日誌その24」
人間、やっぱり情でんなぁ
著者 竹本住太夫 樋渡優子
書いた彼は小学校の同級生。
整形外科医です。
初めて彼の読書日誌を読んだ時は衝撃的で、お医者様になる人というのは、こんなにも文章を書くのが上手なのかぁ〜✨とワクワクしました。
こういうのは何故か上から目線で書く人が多いような気がするけど‥彼のはなんか違う‥。
そして、一つづつ読み進むうちに‥「んっ?」と思わず目が留まり‥。
それがこの読書日誌でした。
文楽のことについて書く方は素人さんからプロまで様々おられますけども‥
こんなにも端的に魅力ある文章でわかりやすく文楽のことを書ける人は他にいるかなぁと思いました。
読み終わった時は胃の辺りをグイグイ持っていかれた感じ😅
2014年に書かれた日誌で、先日、久しぶりに読んで‥初めて読んだ時よりも何だか感動が増して、私は自分のアホさ加減がほとほと嫌になり‥感動と情けなさがごっちゃになって、一人で泣いてしまいました😅
そう‥
そして、彼は時間があると私の長唄演奏会に足を運んでくれます。
彼が来場してくれる度、「あぁ‥私の解説って、なんて稚拙‥( ̄▽ ̄;)」と、終わってから凹みます_| ̄|○
彼には整形外科で主人共々お世話になる時もあるのですが、読書日誌には頭脳明晰でありながらゆったりとした彼のお人柄が垣間見れるような気がします。
きっと、論文書くこと思えば、チョチョイのチョイなんでしょうけども‥言葉を操れるって素晴らしい😂
同じ年で、同じ小学校なのに‥神様は不公平😅
↑
いやいや、神様のせいじゃないよ
この度、「私のお繋がりある方は古典芸能お好きな方が多いので、ぜひこの日誌をご紹介をしたいのだけど‥。」と、願い入れましたら、快く受け入れてくれました。
あくまで私の好みであって、千差万別あると思いますが、ここにご紹介させて頂きますので、ご興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
読書日誌その24

人間、やっぱり情でんなぁ
著者:竹本 住大夫 , 樋渡 優子
出版社:文藝春秋 (2014/10/14)
奥州安達原を国立文楽劇場で観た。住大夫師匠のいない床はなんとも寂しいが、ご自身で決められた引き際であるから、我々観客はそれをよしとせねばならない。
私はいきなり文楽の舞台を観てすぐに理解できるほどの素養がないため、大抵なにがしか予習をしていく。最近では床本をダウンロードして読むことができて便利至極であるが、それを読んでいる段階でいつも思うのは、「このストーリーではなんぼなんでも無理があるやろう」ということである。なにせやたらと人が殺される。さらにその殺人の動機も殺害方法も理解しがたい。今回の奥州安達原では、老女が胎児の生き血がいると言って妊婦を殺害し、その後でそれが実は自分の娘であることに気づくとか、前回の菅原伝授手習鏡では、主君の子の身代わりに、その日に入門したよく似た子の首を打って忠義立てするとか、現代の映画の脚本家が書いたら、まず一発で没になるであろう。漫才なら「そんな奴おらへんやろ」である。
さて当日、そんな違和感を抱きながら文楽劇場の席に座る。床が回って太夫と三味線が現れる。太棹の最初の一音が劇場に響き、正面に現れた人形があまりにも繊細な動きを始める。太夫が節を付けて浄瑠璃を語りだし、三者がお互いを一切見ないのに、寸分のくるいもなく舞台が進行していく。しばらくすると驚くことに、あれだけ無理だと思っていたストーリーが、太夫の口から圧倒的な説得力を持って迫ってくる。切場に差し掛かる頃には、完全に納得してしまって、人形に感情移入すらしてしまう。けだし昔の浄瑠璃作者は、ここまでの効果を計算しきって、あの脚本を仕上げていたのであろう。住大夫師匠が「浄瑠璃ってええもんでっせ、ようできてまっせ」と言われた、その一端が分かったように思えて劇場を出る。
私の文楽理解は未だこの程度なのだが、それでも46歳になって、少し分かるようになった。文楽は大人の趣味である。子供には分からない。文楽の補助金を切って、一方でカジノを誘致するというがごとき、大人なら一顧するだに値せぬ子供の戯れ言にすぎない。そんなことを言う政治家がいて、それが首長だというところに、今の日本の根深い問題があると思う。
2014年11月15日(土)22時47分