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imahujiwakami

Author:imahujiwakami
長唄三味線と古典芸能に携わって日々過ごしております。
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『和香海会 長唄浴衣会』
【開催日】2018年 9月2日(日)

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ご訪問に感謝♪


会に向けて横並びでお稽古しています。



隣で弾く私のお三味線の音が聞こえる人、まだ聞こえなくて譜面に向かうことに一生懸命な人、段階は人それぞれです。 

 「間違ったら、そこで焦って止まらず、“間違った自分”は置き去りにして次に進んでね。」 

 そう言うと、意外に焦らず、落ち着いて弾ける人がいました。 

 演奏中は間違った自分に留まってしまうと、そこから後が崩れてしまいます。 

 なので、とりあえず“間違った自分”は置き去りにして、前進する。 

 いわゆる、「つきなおしが出来る」状態でないといけないので、失敗は引きずらない。

 

アイススケートや体操競技を見ていると、すごく共感する部分です。 

 芸術も体育会系も根底にあるものは同じかな。

 失敗は終わってから見直して、次への反省点としてまたお稽古する。

 芸事はそれの繰り返し‥。 

 さて‥


私は私で任務遂行に向けてブラッシュアップします。


がんばらねば。
芸は崩れる‥。

小学生の頃から憧れていた曲を師匠と共に弾かせて頂いた時の映像を見返してみました。


‥我ながらなんと素直に弾いていることか。

上手いとか下手とかではなく、師匠から受けた芸をそのまま表現しようとしている自分。

大袈裟なようですけども‥。

「芸って‥崩れるよね。」

と、呟いたら

「そうやで。」と返事が返って来た。

「せやから常に磨いてなあかんねん。」

磨く方法も様々。

ちょっと初心に戻ろう。

私の長唄武者修行。

行ったり来たり、走ったり立ち止まってみたり。

時には振り返ることも必要やな‥と、思った今日この頃なのでした。

「母と長唄」

文月は両親の命日。

思い出ついでに母と長唄のことを少し‥。(長いです)


母は長唄が大好きで、お師匠様が90歳を過ぎて解散されるまでずっとお稽古を続けていました。


母のお師匠様は明治生まれの女性で、主人の祖父(初代望月太明藏)ともよく一緒に舞台のお仕事をされていた方と聞いています。


毎年、文楽劇場小ホールにてお囃子入りで春の会(写真)、料亭で夏の浴衣会を開催されていたお師匠様。



晩年になられてもまだお弟子さんが増えているという凄い方でした💦


私の手ほどきのお師匠様はこのお師匠様。


いわゆるプロを雇って演奏するというスタイルの会ではなく、お弟子さん方で並んで演奏されるので、演奏レベルとしては決して高いものではありませんでしたが、皆さま、それぞれにタテだったりワキだったり‥お師匠さんを中心に楽しんでおられたように思います。


私は中高で部活が忙しくなり、一時、長唄のお稽古を中断しました。


大学生になり、またお稽古を始めたいと言った私の言葉に母は色々と考えたようです。


前のお師匠様のところへ行きたい、と、かなり母に迫ったのですが、何故かなかなかウンと言わない‥。


母には母の考えがあり‥


結果、現在の師匠のところにお稽古に通うことになりました。


実は私は母から長唄を教えてもらった記憶が一度もありません。


手ほどきは母のお師匠様。

そして、現在の師匠。

覚えているのは母の言葉。

「ママは鶏口牛後でいいねん。でも、あんたはそれではあかん。」

お囃子マンは「ママさんの英断やったな。」と言います。

でも、母にとってみれば苦しい決断だったと‥。

母のお師匠様は‥

いつも私のことを「こいちゃん、こいちゃん」と呼んで、可愛がって下さいました。

家に電話がかかると、私と母を間違えてしばらく喋る(笑

母じゃないことに気付くと「あらっ!あなた、こいちゃんだっか? まぁ~おかぁさんとおんなじ声して! おかぁさん、いたはる?」と、笑われる。

小学生の頃には可愛いお花のイヤリングをしてお稽古に行くと、こんな具合↓。

「あらっ!まぁ~可愛らしいのんつけて♫ どんなん? ぃやぁ~ちょっとわてにもさしてちょうだい♫」

自分がつけてみる(笑

お稽古を待っているおばさま方の方に向いて、「どう?」と、付けたイヤリングを見せるお師匠様。

ほんとに、可愛らしい方でした😊

髪をきれいに染めて、色が白くキリッとされていて、きれいなお師匠様の思い出。

現在の師匠に弟子入りした時、大胆にも「将来はお師匠さんになりたいと思います。」と、言ったのを覚えています。

今から思えば、よくぞそんな大胆なことをうちの師匠に言ったもんだと‥( ̄▽ ̄;)

多分‥私の頭の中には手ほどきの師匠がいて、「あんな長唄の師匠になりたい」という思いがあったのかもしれません。

母は私に長唄の「存在」を教えてくれました。

(家でお稽古していても、徹底して注意も何もいいませんでした。)

習いに来てくれるお弟子さん達、演奏会‥
今、母のおかげで私は長唄を楽しむことが出来ています。

そんな母へのせめてもの親孝行‥と、主人が母の生前に、師匠、母、私、娘の共演をセッティングしてくれました。


母は第一線で活躍している師匠のお三味線で唄えることをすごく喜んでいました。

母娘三代で舞台に乗らせて頂くことが出来て感謝しています。


主人のモットーは「できる時にやっとかなあかん。」。

ほんとにその通りだと思います。


今はもう母との共演は叶いません。


でも、演奏するそれぞれの曲に母との思い出があります。


「◯◯はほんまにえぇ曲やなぁ✨ △△さんが唄いはったのん聴いたけど、ほんまに良かったわぁ~✨」

「そうやなぁ✨ あそこのとこがまたエェねんなぁ❤️」

毎日電話してはそんな話をしました。

母の声が耳に残っています。

今は自分が母親になり、娘に何を残してやれるのかしら‥と、思う時があります。

大人になっても心に残るえぇもの‥

なかなか難しいです。



「賎機帯」

只今『賎機帯(しずはたおび)』に向き合っております。


派手さはないけど、聴けば聴くほどいい曲で‥

二代目(お囃子マンのお父さん望月太明藏)もお好きやったそうで‥なんか‥そういうの聞くと、改めてしっかり勉強せなあかんな、と思います。

ほんま、まだまだ修行不足。

がんばろ。

「母の命日」

昨日は母の祥月命日でした。


6年が経ちました。


しょっ中思い出すのは、発症してうちへ来てから、春の陽が射す部屋の中で穏やかに微笑む母。


そして‥


入院した病院から15分はあろうかというお風呂屋さんの脱衣所。

浴室を出て、ふとイヤな予感がして携帯を見ると、おびただしい数の着信。

兄からのメールを開くと

「すぐ帰れ!」

という文字。

背筋がゾッ‥と凍りつくとはこのことで‥。

髪を拭くのももどかしく、心臓が破れるかと思うほど走った記憶。

病室に詰めに詰めていたにも関わらず、2~3日後にかけて危ないということを聞き、とりあえずお風呂に入っておこう‥と、兄と交代して初めて病院の外に出かけた時のことでした。

なんで今まで詰めていたのに、このタイミングでお風呂なんかに行ったんだろう‥。

走りながら後悔して後悔して心臓が飛び出そうでした。

病室に着くとまだ息はありましたが、最期のほんの数分‥母は息を引き取りました。

私は涙やなんかでぐしゃぐしゃで‥お礼を言っていましたが、母の耳に届いていたかどうかは定かではありません‥。

人生というのは、本当にいろんなことが起こるもので‥。

悲しい悲しい別れの日の光景はいつまでも鮮明で‥記憶から離れることはなく‥少し辛い思い出。

私は嫁に出た身なので、当たり前ですが我が家に両親のお位牌はありません。

とりあえずは写真と、大好物のお好み焼きをお供えして手を合わせました。

半世紀も生きてみると、「家」や「家族」というものは時と共に様変わりして行くものなんだな、と実感します。

少し寂しい気持ちになりながら‥でも、横でマンさんが一緒に手を合わせてくれてまして、有難いことやなぁと感謝しました。

「両親と同じお墓に入りたい。」と言ったら「はっ??」と言われましたがw

「まぁでも、女の人ってそうらしいなぁ。」と。

義母も同じようなこと言ってたそうです(~_~;)

うちの母は間違いなく父とお墓に入りたかったに違いありませんが(笑

母は牡蠣のお好み焼きが大好きでした。

冬になると食べたくなりますが、私は4回も牡蠣に当たったので、残念ながら今は食べません。

2回目当たった時点で食べるのやめましょう

あーぁ、牡蠣好きなのになぁ‥ざんねん( ;∀;)

というわけで、牡蠣入りではありませんが、本日はお好み焼きもおかずの一品です。

ここまでお読み下さった方‥お付き合い頂きありがとうございましたm(_ _)m


母のお師匠さまの春の会で唄う母。
大好きな「ためじゅうろうさん」に大鼓打ってもらって唄うのは、さぞ幸せだったことと思います(^^)

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