私の平熱は36.2℃。
それが、ここ10日以上も毎日36.4~37℃までを行ったり来たり。
手が熱い。
でも…もしかしてこの歳になって平熱上昇か?とも思ったり。
もしくは何かが原因でちょびっとだけ熱がある状態。
周囲が心配しているのでとりあえず大学病院に行って来ました。
レントゲンも聴診も問題なし。
ドクターが聴診器あてながら…
「きれ~な音ですよぉ♫」と。
採血の結果は来週。
呼吸器内科のめちゃ明るいおじさまドクター、掛かりつけ医の紹介状を見て、度重なる抗生剤の投与と今まで採血していなかったことに驚かれていました。
まぁ…微熱とはいえ、発熱してから10日以上なもんで…。
ウィルス性の風邪がアレルギーのせいでこじれて治りが遅い。
もうちょっとしたら熱も下がるかな~♫
そんな感じみたいです。
ということで、今日まで休ませて頂いて、とりあえず明日から復帰しますm(_ _)m
…で、病院。
本来なら地域連携の病院に行くべきでしたが、そこのドクターや看護師さん達には良い思い出が全くない(むしろかなり悪い思い出しかない)ので、勝手ながら他の病院にして頂きました。
4年ぶりの大学病院。
前回は薬剤性アレルギーによる多形紅斑と肝機能障害で…これは難儀なことでした💧
「こういう症状が出た時は救急車ででも来て下さいね。ひとつ間違えたら危ないことに(ーー;)」と言われ…。
いわゆる「アナフィラキシーショック」だったらしいです。
だって、腕の発疹見た近所のお医者さんが「すぐに治りますよ。」って言ったから、ひと晩寝てたんだもん。
その間に悪化。
高熱と発疹が全身に広がりました(~_~;)
お薬には飲み合わせの相性があるので気をつけましょう(ーー;)
あ、そうそう。
病院のはなし。
…重要な科が沢山あるような大っきい病院はこわいですね。
母のように治るのが難しい病気で診察を待つのは、何ともいえない陰鬱な気分でした。
頭がハッキリしている母の前では、明るすぎても暗くなってもいけない、と思っていたので、どう接していいか難しかった。
ドクターからのガン宣告は母も同席で…余命宣告は私だけが聞いて…ハッキリきっぱりのドクターの口調が怖くて辛くて悲しかった思い出です。
末期ガンだ、とわかって、病院を出る時の母との会話は覚えてるような覚えてないような…。
ただ、母が「コーヒーが飲みたい。」と言って、カフェでコーヒーを飲んだ後、処方された薬を飲み、辛い痛みがロキソニンで緩和されて嬉しそうだったことは覚えています。
その母を連れての帰宅後、極度の緊張のせいか、私が吐いて、ぐったりと寝込んだ(ーー;)
母の初診のドクターは若くて言葉もキツかったけど、転院して緩和医療に移ってからはとても良いドクターに巡り会えました。
これは幸運としか言いようがありません。
義母の時は、口の中が痛む、と訴える義母に、さも「もう高齢なんだから、治療はいいでしょう」というような診察をするドクターの態度が頭にきて食ってかかったのを思い出します。
それにしても最悪に感じ悪いドクターだった。
…今日は呼吸器内科の待合で、父がしていたような咳をしているおじさんたちを数人見ました。
父は結核も患った経験があり、最期は肺ガンもしくは悪性リンパ腫だったので。
今から思うに肺が弱かったのね。
今日の私の担当ドクターは…。
「元気そうだしね♫」
って、私の顔見て笑ってはりました。
…すいません。
こんなことにならないように、ちゃんと地域のお医者様で最後まで治してもらわなくっちゃね…と、思いつつ帰りました。
ここ最近、ドラマ『コードブルー』を観ているので、こんな程度で大学病院に行くのが申し訳なく思える私です( ̄▽ ̄;)
さて、9月に入って早々、たくさんお休みしてしまいました。
ご迷惑おかけした皆様にお詫び致しますm(_ _)m
明日から、再起動。
がんばります。